spacestudyのブログ

宇宙・スピリチュアルの学びの個人的アーカイブ

2021.6.5(sat)のひらめき

日記より。

酔っ払ってたのか、支離滅裂だし口調が荒い。

理性がギリギリのところで守られているうちに書き留めておこうという気概を感じる。

面白いので投稿。

 

 

以下日記より:

 

愛と喜びとともに…って口から出てきた瞬間にあんだけ見つからなかった携帯見つかるの面白すぎわろた。
私あんとき、侘び寂びの侘びっつうのは、諦めの美しさなんだってことがわかって、どういうことかというと、マインドでこの世を捉えようと思うように人間はできてんだけど、なんでかってとそれが愛らしいからなんだけど、とにかくマインドの目でこの世を見てるわけ。そして、年収いくらほしいだとか、わからんけどデケエ家欲しいとか、なに?侘び寂びの時代の人たち的にいうと、なんかわからんけど天皇からぶち上がってる認定されるとか、まあそうなったらいいなァつう人間の本能的な喜び、それをさ、諦めるの。諦めたところに、どうしようもない美しさがあるよってことなんだよな。全然わからないと思うが。いいんだよ。感じて欲しい。考えんのやめろ。それが侘びじゃねっつってんのさ。わかる?わからないよね。だってそう生まれついてるからね。人間はね。だからこそ愛おしい。愛くるしい。けどそれすら手放したら何が見えると思う?


かなり脱線した。私は唐突にこれに気づき、今すぐこの世紀の発見を書き留めなければ!という衝動に駆られた。侘び寂びの侘びは諦めの美!すごいっ!
で、もうどうしようもないくらい今すぐ書き留めたくて、だからiPhoneを探そうと思ったの。ここにこうやってメモしてシラフのとき読むために。
そしたらどう?iPhoneいくら探しても出てこないよ!ほんとうに探しても出てこない。メガネが出てきた。メガネかけた。少しあたりの輪郭がはっきりする。そこで気づいた。この、発見したことを今すぐ書留めたいという欲望、その根底にあるもの、その見苦しさ、これこそ侘び寂びじゃねぇじゃん、って。あははって笑った。そんで探すのやめた。そっからはまた人間について考えた。
いくばくかの時間が過ぎ、てか今もう頭痛いから無理矢理終わらすね、冒頭の呟きに戻るわけ。愛と喜びとともに……。なんでかわからんけど、突然そうもって、それと一体になり、口からまろびでたら、iPhoneでてきた。