spacestudyのブログ

宇宙・スピリチュアルの学びの個人的アーカイブ

2021.11.8に思いついたこと

日記より:

それぞれの人の取り巻いている現実というのは、それぞれの人が自分が何に値するかという信念の表れに過ぎない。
その視点で見ると、例えば毎週温泉に入っている人は、自分は毎週温泉に入ることに値するという信念が実はあるので、入ることができる。毎日羊に餌やりをするおばあちゃんは、毎日羊に餌やりをすることに値すると実は思っている。
あらゆる要素についてこれはいえる。
また、幸せだとか、そういう抽象的な概念について、信念とセットになっていることもある。
例えば、現在私が感じている幸せ、と、生きていくためにあくせく働くという状態に値する、という信念がセットになった場合、あくせく働かなければ私の感じている幸せに値しない、という観念になる。
自分でそれに気づくととても興味深い。
先ほどの例は少し前の私であるし、おそらく人間の多くが抱えている観念だ。
最高バージョンの私に値すると思っているということは、最高バージョンの私が感じるあらゆる幸せ、喜び、ワクワクに自分が値すると、当然のように思っているということだ。私は今それを感じている。
自分を大切にする、というメッセージは最近の流行りで、いたるところで目にするが、これはつまり、自分が自分に対してなにに値するのかを、より優しいものへしましょうというメッセージだ。