2021.7.30(fri)のひらめき
宇宙からのひらめきを載せていこうと思います。
音楽を聴いているときや車に乗っているとき、ふとした瞬間に突然アイディアが降ってきたり、気づいたことがあったりすることがあります。
書き留めていましたが、膨大だし自分の感情のジャーナリングとごちゃ混ぜになってしまってるので、アイディアやひらめきだけこちらにアーカイブしていこうと思います。
今日は過去のひらめきから、去年の7月30日に突然思ったことを書いてます。
「過去の傷とそれに基づく感情」
傷1:私は何者にもなれないのではないか。
→私はもうそうではないことを知っています。事実として、内面に大きな変化がおき、現実が変わるのを目にしてきました。それは過去に持っていた幻想です。私は他のみんなと同様に、たったひとりで、生まれながらにパーフェクトで、プレシャスです。
傷2:私はまた挫折するのではないか
→困難は悪いことではない。予期せぬ迂回によってもたらされる恵みを私は知っていますね。何かが起こるたびに、愛についてまた一つ学ぶ機会がもたらされます。それは喜ばしいことです。無駄な失敗など一つとてありません。流れに乗って上手くいって嬉しいか、予期せぬ迂回によって一つ智慧を授かるかのいずれにせよ、素敵なことです。
傷3:私は能力がない。無能だ。
→果たして人の能力というものは、人が定められるものなのだろうか。人間にとって、役に立つ立たない、生産的である生産的でないなどというのは、宇宙の法則とはまるで交わりのないものです。人々が勝手に決め、勝手に落ち込んでいるだけです。私の能力が宇宙にとってどのような価値があるのか、まだわからないように、私が無能であるかどうかも、本来誰一人としてわからぬものです。
良い悪い、価値無価値といった二元的な判断の仕方は幻想です。なぜならどのような側面も、タイミングも、全てがあらかじめパーフェクトに仕組まれているからです。そのような幻想は捨てて、宇宙に委ねましょう。私はすでに目覚めを選んでいます。その手段や方法は、どのような形でやってきても祝福する準備をしておきましょう。